それだけでよかった(全1ページ/主従関係/逃亡/依存)


 もう我慢の限界だった。
 部屋から自由に出ることも許されず、しゃべることも許されやしない。パーティに参加して、多くのお客様に話し掛けられるけれど、微笑むことしかできない。
 そんな私が唯一心を開けるのは、彼だけだった。
 私のためだけに生まれてきた、私を深く愛してくれる従者。
「一緒に逃げよう?」
「はい」
 優しく微笑み、手をとった彼。
 私たちは、その日の夜に逃げ出した。
 開放感とよくわからない不安を抱えながら……。


 最初は苦労した。
 彼が私以外にまったく微笑まず、それどころか口を開かないのだ。
「お願いだから、他の人とも交流して」
「必要ないと思います。私はあなたのためだけに存在しているのですから」
「なら尚更よ。私の願いを叶えてちょうだい」
「……わかりました」
 彼は次の日から、ぎこちない感じだったが他人と接しはじめた。
 日を重ねるごとに彼の笑顔が自然なものとなってゆき、私は気づいてしまった。
 今まで彼の世界は私だけだったから、愛してくれたのだ。他になにもなく、選びようがない世界。
 そんな世界を私自身が壊した。もう彼には私だけではない。
 彼が私を愛する理由はなくなったのだ。
 私だけに向けられた言葉も笑顔も、今は多くの人が見ている。
 お願いなんてしなければよかった。外の世界に行こうなんて思わなければよかった。
 自由の代わりに、唯一無二の愛情を失った。
「お嬢様?」
「え?」
 彼に頬をなでられる。
 どうやら、泣いていたらしい。
「なんでもないわ」
 私は笑えていただろうか。


 彼は私がいる限り、私に縛られる。そう作られたから。
 彼が私以外を愛しても、その呪縛からは逃れられない。
 それにすがりつくのは、あまりにも滑稽だ。今までずっと、私の思うがままにやってきた。そろそろ解放するべきなのかもしれない。
 彼の幸せは、きっと私にはないから。

 夜中、ひっそりと泣いていた私の背中に温もりを感じた。
「ごめん、ね」
 私にはまだ、離れる勇気がなかった。
 もう少しだけ、それが彼の意志ではなくても、私だけのものではなくていいから、愛してください。


 私には、あなたしかいないの。
 それだけで十分なくらい、あなたに溺れてしまった。
 笑ってください。
 私だったら、大声で笑うわ。
 愛してもらうのが当然なんて、ありえないのに。
 あなたから解放されたい。
 でもそれも、後悔するのでしょう。
 私たちは、幾重ものもろい、けれど一生外に出ることの叶わない檻に囲まれているのだから――。


*


 私は生まれてから、お嬢様のために生きなさいと数え切れないほど言われてきた。
 もちろん親の前では素直に頷いたが、会ったことのない人にどうしてつくさなければいけないのだ、私は私のやりたいように生きる、そう考えていた。

 お嬢様が六歳になられた時、ついに私が役目を果たすときがきた。初めて顔を合わせて、忠誠を誓うのだ。
 私は逃げようと考えた。
 お屋敷に入ってから、こっそり親から離れていった。

「はあ、はあ」
 広い庭園を走る。
 出口はどこ?
「どうしたの?」
 声がしたほうに、無意識に視線を向ける。
「あ」
 どうしてだろうか。
 急に現れた少女は初対面なのに、分かってしまった。
 彼女が私の仕えるべき人なのだと。
「……あなたを探していました」
「私には逃げているように見えたけど……」
「そんなことはありません!」
 思いきり声をあげてしまった。それは自分の失礼な行動を隠すためではなく、彼女にそう思われたくなかったから。
 一瞬にして、彼女に心を奪われた。
 初めて自分の家系に、深く感謝した時だった。これから、彼女の全てに関わっていけるのだ。これ以上の幸福はない。


「一緒に逃げよう?」
 この言葉を聞いた時、私は迷わず返事をした。彼女の望みは全て叶えてあげたい。
 だけど、外の世界に出るのは怖かった。
 誰かに奪われてしまうのではないかと、危惧せずにはいられなかった。
 私は、彼女に捨てられれば、それまでなのだ。
 もしそんな時が来たら、私は奪った者を殺すだろう。そしてまた、狭い小さな世界へ戻ってゆく。

 外の世界なんて、必要ないんです。
 大切なものがたった一つあるだけで、生きていけるのですから。
 早く、それに気づいてください。
 早く、早く、私があなたの意志に従えるうちに。
 私が逃げられないように、あなたも逃げられないのですから。


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