逃げられない(全2ページ/BL/弟×兄/障害持ち/裕福)
「兄さん」 「っ」 急に耳元で囁かれて、僕は皿を落としてしまった。 「あーあ、兄さんはドジだなあ」 「……ごめん」 何事もなかったかのように返事をしようと心がけたが、できただろうか。 料理をしている僕の背中にぴったりと張り付く弟。 手伝うわけでもなく、ただいるだけ。 僕は何を考えているか分からない弟が怖かった。 それに、さっき僕を呼んだ低くて甘ったるい声。 本当、何なんだよ……!? 僕は弟を見ないようにして、割れた皿を拾う。 けれど、嫌でも視線を感じて手元に集中できなかった。 「あっ」 案の定、皿の破片が指に刺さって怪我をしてしまった。 「兄さん、見せて」 血がにじんでいる指に、弟の手が近づく。 払いのけたい。触らないでほしい。 そう思ったのに、体はまったく動かなかった。 壊れ物を扱うかのように、弟は優しく僕の手を握る。 「あー、止血しないとね」 そういうなり、弟は僕の指を口にくわえた。弟の舌が僕の指をなぞる。 僕は羞恥で顔が真っ赤だろう。 どうして弟にこんなことをされなくちゃいけない!? 僕は怒りを感じた。仮にも僕は兄なのだ。こんな扱い、正しい姿じゃない。 そう思ったが、やはり体は動かなかった。 いくら怒りを感じても、長年蓄積されてきた恐怖には勝てなかった。 今も弟の目は恍惚としていて、何をしたいのか分からなかった。 僕の家はいわゆる金持ちらしい。 当然後継ぎも必要となってくる。 僕の家系は身内結婚が多く、僕の両親も遠縁ではあったが親戚だったらしい。 そんな両親から生まれた僕は最初から片足がなかった。 歩くことはもちろんできないし、日常生活もかなり制限されてくる。 ただ、今の時代、義足も発達しているし困ることはそんなにないはずだろう。しかし両親は心配だったらしい。 僕の心配か、後継ぎの心配かは知らないけど。 そうして両親が出した決断は、もう一人子供を産むこと。 僕の為に、僕を支える脚と為るためにうまれてきた弟。 かわいそうだ、と思った。 僕は望んでいないのに。 生まれてきた弟は両親がまた障害があるかもしれないという心配を杞憂に終わらせた。 歩けるようになるといつでも僕の後ろについて来て、とても可愛かった。 僕も早く自然に歩けるようになって、好きにさせてあげたいなと思った。 更に月日が経って、僕は健常者にまぎれても分からないくらい自然に歩けるようになった。 弟はみるみる成長し、完璧としかいいようのない人間になった。頭がよく、運動もできて、顔もよい。 もう僕のそばにいる必要はない。そう本人に伝えたけれど、「父が言うから」と離れてはいかなかった。 家ではいつも隣にいる弟。 なんて不自由な暮らしをさせてしまっているのだろうと思った。 きっと学校でも友達が多いだろうし、遊びにも行きたいだろう。 なのに自分より明らかに劣っている人間の為に時間を割くなんて、不満に感じるだろう。 絶対嫌われている。少なくともこんな状態で好かれるわけがない。 僕の中には確信めいたものがあった。 だから、いつも隣でにこにこしている弟に恐怖を抱きはじめた。 いつ裏切られるのだろう。 いつしか、そればかり考えるようになっていった。 僕が感じる恐怖感が確立されたのは、父にお願いにいった時だった。 僕なんかいいから、弟を好きにさせてやって、後継ぎにしてください。 それが一番よいと思ったから。 僕なんかに縛り付けていい人間じゃない。それに裏切られたくなかったから。離れてしまえば、いくらか憎しみも薄まるだろうと考えていた。 しかし、父は意外な言葉を口にした。 「私はもう止めろといったのだがな。お前も子供ではない。後継ぎは勝手に話し合え。私はどちらでもいい」 そういったきり、父はどこかに行ってしまった。 ――弟が隣にいるのは父の意志でなく、本人の意志? そう気づいた瞬間、体が震えた。 何を考えているのだろうか。 異常なまでに近くにいて、僕に何を求める? 嫌いなら、出ていくよ。 嫌がらせも飽きた頃だろう?