俺はいつものように机に座ると、ヘッドフォンをつけようとして止めた。
 いつ先輩の声が聞けるか分からないのに、自分からその機会をつぶすなんてことはしたくない。
 結局俺は手を動かすのを止めて、外を眺めていた。
 そんな俺を先輩はじっと見つめる。それがどうしようもなく恥ずかしかった。
 俺も先輩を見たかったけれど、目が合ったら何をしてしまうか分からなかったから、絶対振り向けなかった。
 微かに聞こえてくる紙を擦る音。耳を澄ませなければ聞こえないそれが、先輩との距離を表していた。
 同じ空間にいるのに、全然近くない。まるでおあずけをくらっている犬のようだった。
 その距離を実感すればするほど、自分の表情が固くなるのが分かる。
 描いてもらっているのだし、笑った方がいいのだろうと思ったが、中々難しかった。



「終わったよ」
 しばらくしてようやく聞けた先輩の声を合図に、俺は伸びをしながら駆け寄った。
「どうかな?」
 そう言われて覗いてみると、そこにはつまらなそうに座っている俺がいた。
 こんな顔をしてたのか……。
 あからさまな自分の態度にため息をついた。
「嫌だったよね? でも、ありがとう」
「いや、全然」
 ただ先輩と距離を感じて、不機嫌になっていただけです。とはさすがに言えなかった。
 先輩の絵は柔らかい水彩画だった。一つ驚いたのが、それには背景がまったくなくて俺一人だったということ。
 今まで俺だけを描いていたんだ、と限りなく独占欲に近い何かが満たされていく。
「先輩は背景描かない人なんですか?」
 もしかしたらそれほど珍しいことではないのかもしれないが、芸術に疎い俺には分からなかった。
「いや、最初は描くつもりだったんだ。でも圭くんを描いたら、満足しちゃって。背景描くのがもったいないかなと思った」
 本当にやばい。この人は何回俺の中を掻き乱すのだろうか。
 先輩の顔をじっと見つめると、先輩の長い前髪に絵の具がついているのに気づいた。
 そっと手を伸ばして、先輩の髪をすく。
「け、圭くん?」
「絵の具がついてましたよ」
 すけばすくほど、先輩の匂いがする。髪もサラサラだ。
 俺はやめられなくなっていた。
「も、もう大丈夫だよ、ありがと……う」
 気づいた時には先輩の顔が真っ赤で。
 あー、すみません。
 心の中でそう言うと、勢いよく先輩に抱き着いてキスをした。
 椅子が倒れて、俺達は床に転がる。
「先輩、大好き。逃げないで」
 もう一度キスをしようとすると、先輩は目をつよくつむった。けれど、避けようとはしない。
 それをいいことに俺は何度も軽いキスをした。
 可愛い先輩が悪いんだ、と自分に言い聞かせて。
「絶対幸せにするから、俺と付き合って下さい」
 俺は小さく頷く先輩を見逃さなかった。
 先輩の言うことなら、何でも聞くから。どんなモノからも守るから。
 だから、先輩が俺を嫌いにならない限り、離さないし、逃がさないから。

 それから、改めて先輩から告白されたのは一週間後だった。


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