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次の日の朝、私は少し焦っていた。 時刻は六時二十七分。 いつもならのんびりするのだが、そういうわけにもいかなかった。普通に歩けば後十分はかかる道を早足で歩く。 昨日、紺野くんに六時半になれば部室は開くよと言ってしまったのだ。もちろん嘘ではない。時々遅れてしまうが、だいたいはその時間に着いている。 六時半ぴったりに来るとは思えないが、万が一もあると思い、私は焦っていた。なんで今日なのだろう。紺野くんに連絡もできない。まだ知らないから。 部室の鍵を握りしめながら、私は急いだ。 「あ」 なんとか五分で来ると既に紺野くんは来ていた。 「ごめん! すぐ開けるね」 知り合って早々に時間を守れない先輩と思われてしまっただろう。最悪だ。 焦っているせいか、中々鍵が開かない。 「……落ち着いてくださいよ、先輩」 思ったよりも低く、ため息まじりの声に私は顔を赤くした。 恥ずかしい……。 「ごめんね、どうぞ」 私はようやく鍵を開けると、紺野くんを部室に入れた。 「別に俺が勝手に早く来ただけだから気にしないでください。先輩に準備させるのよくないと思ったからだけですから」 「でも、」 「それに毎日六時半きっちりに登校できる人なんてそんなにいないですから」 「……ありがとう」 大人だと思った。紺野くんはそこらの高校生よりずっと落ち着いている。 「あ、メアド交換しよ?」 「え?」 「?」 またこんなことがあった時のために、と言ったのだが、紺野くんは固まってしまった。 「嫌ならいいんだけど……」 「そんなわけないです!」 全力否定だった。 さっきまでの落ち着いた紺野くんと全然違って、私は思わず笑ってしまった。 「……笑わないでくださいよ」 「ごめんごめん。ほら、携帯出して」 赤外線通信で一瞬にして送られて来る情報。 ――紺野凌。 ただアドレスが一つ増えただけなのに、顔がだらしなくゆるんでいる自分がいるのが分かった。 それから毎日朝練で会い、部活連絡だけだったメールもだんだん雑談まじりになってきて、大分仲良くなった。 紺野くんのいろいろなことが分かった。 私と同じポジションで、プライドが高くて自信家。でも私は嫌な感じを受けなかった。その自信は紛れも無い紺野くん自身の実力からきているものだからかもしれない。 あと、礼儀は知っているけど、仲良くなると生意気。というかストレート。 「紗季先輩」 紺野くんは稲永が言いにくいからと私を下の名前で呼ぶようになっていた。 「何?」 私は朝練を中断して、返事をする。 「もうそろそろ時間ですよ」 「ああ、ありがとう」 時計を見ると確かにぎりぎりの時間だったので、私は練習を止めることにした。 「先輩、いつも朝も休みなく全力で練習してるんですか?」 「そうだけど……」 素直に答えると紺野くんはどこか呆れたような表情を作った。 「人間、体力無限じゃないんです。朝はウォームアップくらいで終わらせるのがセオリーでしょう? というかそんなにやって放課後もつんですか、ただの馬鹿ですか」 ほら、ストレートでしょ? 「今までずっとそうやってきたからなあ」 「少しくらい意識してくださいよ、大会も近いんだから」 大会。 その単語に私は胸が痛むのを感じた。 私の部活では三年生は無条件でレギュラーだ。つまりどんなに上手い一、二年でも、自分と同じポジションの三年がいれば譲らなければならない。 紺野くんは私と同じポジションだから、大会に出ることはできないのだ。上手くて、その上練習も人一倍しているのに。 「……ごめんね」 「別に俺はいいですけど」 そのことじゃないよ。 そう言いそうになって、何とか止めた。 悩んでもしょうがない。 もう八月の大会は間近に迫っていた。