「どうでした?」
「やっぱり、凄いよ」
 それはまぎれもない本音だった。
 笑顔で褒めたはずの私を紺野くんは訝しげに見つめてくる。
「紗季先輩?」
「……今日は、もう帰るね。またね」
 紺野くんの顔を見ることができない。
 どんなに頑張っても、紺野くんを越えることは不可能だと確信した。
 ……それならば、私は辞めるべきだ。
「ちょ、どうしたんですか」
「何にもないよ。ただそろそろ参考書とか買わなきゃいけないから。練習頑張ってね」
「…………はい」
 何か言いたそうな紺野くんを無視して、私は学校を出た。



 引退。
 その言葉が私の中でぐるぐると回る。
 きっと紺野くんなら十月の大会で関東に行けるはずだ。
 ……見に行けるかなあ。
 受験期だし、時間は限られてくるだろう。

「……勉強、か」

 部活をしたいよ。

 引退はする。
 けれど、それを行動に移す決心がなかなかつかなかった。





 九月に入って、ようやく私は先生の下に話をしにいった。
「やっぱり、十月までは辛いかなあって思って……」
「そうか」
「突然で本当に申し訳ないです」
「いや」
 先生は慣れているのか、至極あっさりとした態度だった。
「今までありがとうございました」
「ああ。三年と紺野を説得したら改めて退部届け受理してやるから、もう一度来い」
 そう言って返された退部届けを反射的に取ってしまった。
 三年はともかく、紺野くんも?
「なんで紺野も? って顔してるな」
「あ、いや、すみません」
「……あいつと一番仲良かっただろ? あいつ、突然辞められたら悲しむと思うけど」
「…………」
 そうだろうか。内心喜んだりするんじゃないか。
 自分で言ったくせに私はそれを想像した瞬間、胸が痛かった。



 その日のうちに、私は三年に話をした。
 二人とも何も言わなくて、それが逆に辛かった。
 未帆がいつものように抱き着いてきて、史緒が傍観してる。
 これが日常じゃなくなるのか、と寂しさを覚えた。




 三日、四日と時が経っていった。
 未だに紺野くんには言えずじまい。
 そんな私は七時過ぎ頃、久しぶりに練習場に向かっていた。いつも行っていた場所に行くはずなのに、緊張しているのを感じる。
 きっと紺野くん一人だから、言ったらすぐに教室に行こう。

 部室のドアをゆっくり開ける。
 そこにはやっぱり紺野くんしかいなかった。
「あ、先輩」
「あのね、紺野くん……っ!」
 距離を保ったまま話し出した私に、紺野くんはスタスタと近づいてきて、思い切り手首を握った。
「紗季先輩、言い逃げする気でしたよね?」
「…………」
 きっと私が何を話すかは知っているのだろう。ここ最近部活に出ていないから……。
「……知っていると思うけど、私引退しようと思ってて」
 私は言い逃げを諦めて、話しはじめた。
「何でですか?」
「言わなきゃ、だめ?」
「辞めるなら、俺も納得させなきゃなんでしょう?」
 そう言われて、私は何も反論できなかった。
「十月まで部活を続けて、合格できる自信がなくなってきたの……」
「指定校でも?」
「!」
 私は思わず紺野くんの顔を見つめた。
 確かに私は部活を十月まで続けるつもりだったから、前から指定校を狙っていた。
 まだ決まったわけじゃない。けれど、それほど焦っていないのも事実だった。
「先輩のことならわかりますよ」
「……でも」
「受験勉強が理由じゃあ、ないですよね?」
「…………」
 言えない。
 納得してくれるとは思えなかった。それに、弱いと責められるかもしれない。
 紺野くんがこんな形でレギュラーを取っても喜ばないだろう。だから、この行動は自分のためでしかない。結果的には部活のためになるかもしれないけど、今は私の逃げでしかない。
「……言えない理由ですか」
「ごめん」
「…………」
 紺野くんは黙り込んだけれど、言いたいことははっきりと伝わってきた。
 少しでも辞めてほしくないと思ってもらえてるなら、私は十分幸せだ。
「……俺が」
「ん?」
「俺が辞めてほしくないって言ってもダメですか?」
「え?」
 そう言った時の紺野くんの目があまりにも真剣で、私は分からなくなった。


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