紺野くんは自分の代わりに私がやっていてもいいと思っているの?
「何だかわかりませんが、俺のせいでしょう?」
「…………」
「だったら俺がいいって言ったなら、辞める必要ないんじゃないですか?」
 紺野くんは私の沈黙を肯定ととったらしく、言葉を続けた。
「……どうして?」
「後輩が先輩に辞めてほしくないって思うのは普通だと思いますけど」
 確かにそうだけど……。
 紺野くんがそんなこと思うとは思えないし、
「……私がいなければ、紺野くん大会出れるのに……」
 私は紺野くんの態度が予想外すぎて、思わず本音を呟いてしまった。
 聞こえていなければいいと思おうとしたが、私の手首を掴んでいる紺野くんの手に一層力がこもったから聞こえてしまったのだろう。
「それが理由ですか?」
 顔を見なくても怒っているのがわかる。
「…………」
「絶対認めないですからね、そんな理由」
「だって、紺野くんの方が……!」
 紺野くんの表情はくだらないとでも言っているかのようで、私は思わず大声で反論する。決して安易にこの答えを出したわけではないから。
 けれど、紺野くんが深いため息をついて、私は言葉を詰まらせた。
「……何を勘違いしてるのかわかりませんけど、今から言うのは事実ですからきちんと聞いてください。俺、お世辞嫌いですから」
「……うん」
 真っすぐ見つめてくる紺野くんの目から視線をそらせなかった。
「先輩は俺よりずっと上手いです。俺だって、部員だって、皆そう思ってる」
 私は言葉を理解するのに時間がかかった。
 何て言った?
「……そんなこと」
「ありますよ」
 紺野くんは即答した。
「……仮にそうだとしても、さ」
 今更復帰します、なんて。
 一度辞めようと思った人がこれから先、何かできるとか思えなかった。
 こんな風にぐずぐず考えている自分も嫌だった。
「俺、先輩が辞めるなら一緒に辞めますよ」
「!」
「これは部活じゃなくても、学校外でもできますし」
「それはダメ!」
 私は思わず叫んだ。それじゃあ意味がないし、部活のマイナスにしかならないし、紺野くんがやっている姿を見る回数が減ってしまう。
「じゃあ、先輩も辞めないで下さい」
「……紺野くんがそこまでする必要はないよ」
 本当は辞めたくないよ。部活自体だって、部員の皆だって大切。
 でも私なんかのために、紺野くんが辞める必要はない。本気でそう思うから。
「先輩が部活来なくなったら、会えなくなるじゃないですか。嫌ですよそんなの」
「別に一生会えなくなるわけじゃないし、他の二人はいるよ」
 そう言いながら、そんなに慕ってくれてたんだなあと不謹慎かもしれないが、嬉しくなった。
「紗季先輩じゃなきゃ、意味ないです」
「……?」
 紺野くんは私から目をそらした。
 無言の紺野くんを私は見つめることしかできない。
 とても長い時間が経ったように思えた。実際はほんの数十秒だったのだろうけれど。
 紺野くんはまた少し力を込めて私の手首を握ると、まっすぐ見つめてきた。
 そして、搾り出すように、少し震えた声を。

「好きな人と少しでも一緒にいたいと思っちゃダメですか」

 予鈴のチャイムが鳴り響く。
 そこでようやく紺野くんの手が離れた。
「じゃあ、俺は片付けてきます」
 遠ざかる紺野くんを目で追うことしかできなかった。

 …………好きな人?

 何も考えられなかった。
 かわりというかのように襲ってくる鈍い痛み。
 紺野くんに掴まれていた手首を見ると、くっきりと赤い跡が残っていた。
 どんなに生意気で、ちょっと可愛いところもある、自分を押し通すことが多い子供っぽい二歳下の後輩だけど、

 ――男の子なんだなあ……。

 そう思った途端、手首に集まっていた熱が顔に向かうのが分かる。
 正直、恥ずかしい。
「先輩? もう始まっちゃいますよ?」
 何事もなかったかのように、片付けが終わった紺野くんは教室に向かおうとしていた。
 私はそんな紺野くんに手を伸ばす。
 なんとか袖を申し訳程度に掴んで引き止めた。


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