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僕は自分の耳を疑った。 「僕……?」 「はい」 はっきりと告げる彼女に、嘘ではないと信じざるを得なかった。 それにしても分からない。存在は知っていたけれど、実際に彼女と会うのは初めてだ。 「圭とよく一緒にいたよね?」 もしかしたら別の子かもしれない、と僕は尋ねた。でもその疑問はあっさり否定された。 「はい。篠原先輩と一番仲が良いと聞いていたので」 「そうなんだ」 やっぱり他学年で部活も違うのに一緒にいると、目立つのだろうか。 「先輩に会いたくても、いつも五十嵐先輩がいて。なら学年が近い五十嵐先輩と仲良くなれば、篠原先輩にも会えるかなあって。ぶっちゃけちゃえば、五十嵐先輩を利用したんです」 悪びれることなく言う彼女が、なんとなく圭と重なった。 圭もそれが分かっていたのだろうか。 「お願いです、私と付き合ってください」 申し訳ないけれど、必死に泣きそうな顔で言ってくる彼女さえ、演技なのかと疑いたくなった。 「初対面で人を利用するような人のことは信用できないよ」 僕は眉を下げて、小さな声で言った。本心ならば、とても傷つくことを言ってしまったから。 「利用したのは事実ですけど、私はずっと前から先輩を知っていました。本当は中学校も同じなんです。最初は先輩の絵が好きなだけでした。でも、先輩を見た時に一目惚れしてしまったんです」 それから忘れられずに追いかけてしまうくらいには好きなんです、と僕を真っすぐ見つめてきた。 なりふりかまわないところが圭と同じで、場違いにも可愛いなと思ってしまった。 「僕には大切な人がいるから」 真剣に伝えてくれたから、僕も真剣に答えた。それくらいしか、僕にはできない。 「知ってます。でも、絶対私の方がいいですよ」 「どうして言い切れるのかな?」 「だって、どうせ男同士なんて幸せになれない。私との方が確実に……」 「勝手なことを言わないでくれるかな?」 僕は珍しく怒っていた。 圭と僕が付き合っているのを知っているのだって、男同士を否定するのだって、別にいい。 でも僕の中で圭といる以上に幸せなことは、おそらくない。 「君の気持ちには答えられないよ。僕の気持ちは揺るがないから。ごめんね」 そういうとさっきまでの強気が嘘のように、彼女は泣きはじめた。 「…………っ」 ごめんなさい、と震える声で言ったと思ったら逃げるように彼女は廊下へ出ていった。 「……いいよ、待たせてごめんね」 誰もいないはずの美術室で僕が言うと、廊下から不機嫌な圭が入ってきた。 「先輩……」 「ん?」 圭は何と言ったらいいかわからないみたいで、言葉を続けようとはしなかった。 そんな圭に僕は微笑む。 「久しぶりだね」 「……うん」 「一緒に帰ろう」 僕は画材を片しはじめた。 そうしているうちに、いつの間にか圭は真後ろに来ていて、抱き着いてきた。 「先輩、和泉先輩」 「何?」 僕は手を止めて、圭の手を解いた。そしてそのまま向かい合わせになる。 「会いたかった、あんなやつじゃなくて先輩にずっと会いたかった」 なのに、あいつの方が先に会うし。 僕は、顔を思い切り歪める圭の頬を撫でた。少しでも笑っていてほしいと、そう願って。 「最初から分かってたんだ、あいつが先輩を好きなことは。だから、会わせたくなかったのに」 「どうして? 僕があの子のこと、好きになると思ったの?」 「そうじゃない」 「?」 「俺が嫌だった。先輩のこと好きなら、必要以上に話し掛けようとするし、触ろうとするだろ? そんなの、俺だけでいい」 ……恥ずかしがることもなく、真剣にそんなことを言ってしまう圭が、どうしようもなく好きなんだ、と実感した。 「じゃあ、僕も圭があの子ばかりかまっていて嫌だったよ」 ――ああ、そうか。 言ってしまえばなんてことはない。僕が感じていたものは、薄暗い独占欲だった。 「ごめん。でもあいつ、中々諦めてくれなくて……」 「もういいよ。僕は君が好き。それだけで今は我慢してよ」 大人になったら、もっと二人でいられる方法を探そう。 「俺も、先輩……和泉が好き。和泉がそう言うなら、あと少しだけ我慢する」 あと少し、が何年になるかは分からない。もしかしたら、十年以上先の話になるかもしれない。 それでも、君は待ってくれるだろう。 だから僕はその気持ちに、精一杯答えようと思う。