次の日も私は紀一に会った。
「奈々、一緒に帰ろうよ」
「……あー」
 私は断るべきなのかと思った。
 一応告白の返事は返していないけど、きっと私が他の男と二人でいたら、先輩は嫌な思いをすると思うから。
「用事でもあんの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「じゃあ行こうよ」
 紀一が私に手を差し出してきて、私は思わずその手を叩いてしまった。
「え?」
 それはどちらの声だったのだろうか。
 なんで叩いてしまったの?
 手を繋ぐのはよくないと思ったから?
 決意が揺らいでしまうと思ったから?
「奈々、俺のこと嫌い?」
「……嫌い」
 嘘だよ。
 素直になれない自分が恨めしい。
 それが取り返しのつかないことになる。
「そっか。俺は結構好きだけど」
「あっそ」
 止めてよ。
「ほんとだって。俺さ、奈々と付き合ったら長続きするんじゃないかなって思うんだけど」
 何でよ?
 今まで私はずっとずっと我慢してきたのに、紀一はあっさり言っちゃうの? 私の気持ちは?
 紀一は私の今までの苦しみを知ってる?
「……私、部活の先輩と付き合うから」
 私はそう言って、駆け出した。
 私の名前を呼ぶ声なんて、知らない。


 家のドアを勢いよく開けて、私は床に座り込んだ。
「……馬鹿だ」
 今更いうなんて、無理。
 せっかくの決意をあっさり崩して、紀一と付き合うなんて私にはできなかった。
 私の気持ちはそんなに軽くないんだよ……。
 私はもう紀一のことは好きじゃない。
 何度も何度も自分に言い聞かせた。





 それから数日間、、私は紀一に会わず、先輩に返事をすることもしなかった。
 そんな時、耳にしたのは紀一の噂だった。
「ねー、奈々。紀一くんの新しい彼女知ってる?」
「え?」
 私は頭が痛んだ気がした。
 あんな話をした後だったけど、別にあいつにとって大した話じゃなかったんだね。
「あのね、びっくりなの! 初めて紀一くんから告白したんだよ!」
「…………」
 ああ。
 何だ、本命いるんじゃん。
 あの言葉は例え話でしかなかったってことか。
 悩んだ私が馬鹿なの?
「すっごく美人さんでね〜」
 私は友達の話をほとんど聞かず、授業になったら机に突っ伏した。
 ぽたぽたと落ちる雫。

 ねえ、きーすけ。
 ずっと大好きなんだよ。

 どうして君に言えないんだろう。





 私は紀一を諦めきれていないのだと認めて、先輩の告白を断ることにした。
「……諦められませんでした。だから、このまま先輩と付き合っても失礼だと思うんです。本当にごめんなさい」
 私は素直に先輩に全てを話した。
 こうやって紀一にも素直になれれば、よかったのに……。
「知ってたよ。君の好きな人」
「え?」
「だけどオレも諦められなかったから」
「先輩……」
 どこか悲しそうに、でもしっかりと笑う先輩が眩しかった。
「わっ」
 くしゃくしゃと先輩が私の髪を乱す。
 目が見えなくなってしまった。
「あのさ」
 話しはじめても先輩は手を止めなかった。
「諦められないから好きでいてもいいか?」
 ……そうだよね。
 振られて平気な人なんていないんだ。
 今は私から先輩の顔は見えないけど、声が震えているのが分かった。
「はい。ごめんなさい。でもありがとうございました」
「俺が諦めてないの忘れるなよ?」
「はい」
 強がりかもしれないけど、二人で笑いあった。
「じゃあまたな」
「また部活で」



 家に帰ると、久しぶりに私は弟に向かって紀一の話をした。
 内容はもちろん、噂のこと。
「ようするに、私はきーすけの言葉に勝手に振り回されてたんだよね」
 弟は何も言わずに聞いていてくれた。
「……紀一さんから告ったってほんと?」
 しばらくしてから弟はこれだけ質問してきた。
「そうらしいよ。私に口説き文句いった翌日にこれだよ。本命いるくせに言わないでよって感じ。これだからチャラ男は……」
「ねーちゃん」
 早口でまくし立てる私を静かに諌めた。
「ごめん。本音じゃないよ……」
 泣きたいのを我慢してるだけだから。
「オレも嫌なこと、聞いてごめん」
 優し過ぎる弟の前で、私は頬が濡れるのを感じた。


「紀一さん、馬鹿だろ……」
 この呟きは誰にも届かなかった。


prevnexthome